『ダイエットできました?!』
2000年(平成12年)の夏、『春団地』の工期が8月でしたが、8月の時点で現場は次々と発見される瑕疵が収束する気配を見せませんでした。
そんなある日、懇意にしていただいている修繕委員長のお宅に書類の届け物をしました。
委員長さんは仕事中のため不在であったため、医療関係にお勤めの奥様に書類をお渡ししました。
後日、委員長さんが言いました。
『うちの家内が、「佐藤さんがあれほど痩せたのはおかしいから、絶対に医者に見てもらったほうが良い。」と言っている。』
頻繁に合っている方にはわからなかったようですが、どうやら私は痩せたらしい。
そう言われてみると、最近、パンツのゴムがどれも緩んでいるように感じていました。
当時は毎日検査が頻繁にあり、多い日は一日20ほどの検査があった。確か、一番多い日は25だったように記憶している。
検査は足場の中を移動し続け、階段を登ったり降りたりとを繰り返すわけですが、とにかく息が切れてどうにもならない状況でした。
それでも小走りで現場事務所へ戻ると、工事会社の担当者が3組ほど待っている。これを二人で対応する。
とにかく毎日クタクタでした。
10mも歩くと息が切れる。
会議の席、手が震えてくる。『緊張しているのかな?』確かに緊張する場面が多かったことも事実です。弱みを見せるような気がして、それを抑える動きをしていました。
電車に乗っていて、足を閉じているのに意識していないと開いていく。力を抜くと細かく震える。
しんどいときはしっかり食べる。当時はそんなことを意識していました。二人で4人前注文する。二人で2人前ずつ頼むわけではありません。私が3人前食べるのです。『しっかり食べなきゃ。』強迫観念にも似た意識で食べました。着工当時、私の体重は80kg強ありました。
普段、あまり体重を気にすることはなかったのですが、自宅へ帰った折、体重を測ってみたら60kgを切っていました。
『ダイエットができたのかな?』
当時の私は、呑気にそう思っていました。
しかし、これまでの症状は我慢できたのですが、一つだけ我慢できないことがありました。
それは、『眠れない』こと。
当時の私は枕元にノートを置いていて布団に入ると、『これをやらなきゃ』、『あれをやらなきゃ』と頻繁に起きてはノートにメモを書いていました。
とにかく眠れない。大体、まる二日殆ど寝られずに朝になるとウトウトする、、、を繰り返し、三日目に部屋に戻ると玄関で寝て、翌日呆然と現場に行く、というのを繰り返していました。朝がキツイ。暑くなる頃には薬でも寝られませんでした。
2000年夏、春団地の当初予定されていた工期終盤に、ある工事会社の人に言われました。
『佐藤さん、工事費が契約の倍を超えていますが大丈夫でしょうか?』
プレッシャーが無かったかと言われると嘘になります。
あまり心配されるので病院に行くことにしました。
地元でかかりつけの先生に上のような状況を相談しました。
血液検査の結果は『甲状腺機能亢進症』
一生薬を飲み続けないとならないとのこと。
ただ、出していただいた薬を飲むと、何ヶ月も悩まされていた『不眠』がピタッと収まり、ぐっすり眠れるようになりました。細かい震えも完全になくなりバッチリ!
と思ったのですが、良いことばかりではありません。しばらくすると体重まで戻ってきてしまいました。
『体重だけはそのままで良かったのに。』
幸い、数年後には薬も必要なくなりました。
ちなみに、体重が戻る前に所帯を持つことになりました。
結婚式のときに出席した家内の友人が、数年後に再開した時、家内に『旦那変えたの?』と聞かれたそうです。どうも私が別人に見えたからのようです(笑)